葬儀の挨拶(石村)

葬儀の挨拶(石村)
典型的な葬儀では、家族代表者の挨拶というのがある。私は葬儀業者であるから、業務上それを聞く機会が多くある。また挨拶は式内の限られた時間しか与えられないから、故人である父や母の思い出の中から、子供の視点から一番印象に残っていることを選んで話す。そうした多くの挨拶を聞く中で、いつしか、私の葬儀で私の子はどんな挨拶をするのだろう、と考えるようになった。
私が20代のころに発生したアメリカの同時多発テロ。その遺族たちについて書かれた本を読んだことがある。私の記憶は今となってはあやふやで、受けた印象が強く残っているのみだが「もう二度と会えなくなると分かっていたのなら、あの日の朝、愛していると伝えて家を送り出したかった」というように、愛していることを十分に伝えていなかったことを後悔している人が多いとのことだった。
この本が一つの契機となって、私は第一子が生まれた時から、就寝前、そして私もしくは子が外出する前に「お前はお父さんの宝物だよ」と言うことを習慣にした。第二子が生まれてもそれは続いている。もし私が外出先で突然亡くなることがあった場合、父にかけられた最後の言葉がこれであれば、その事実が子のその後の人生をわずかでも支えてくれるだろう。そんなことを思い行ってきた私は、だから子が私の葬儀で行うであろう挨拶に思いを巡らした時に「父は私のことを宝物だと呼ぶ人でした」と子が言いたくなるようにしようと思った。いうまでもないことだが、愛情深かったとか善い人だったと言われたいからではない。子が私を思い起こした時に真っ先に念頭に浮かぶもの、それが私の愛情だったというようにしたいのだ。それが子を生涯にわたって幸福感の高い、そして自分も他者も大切にすることの出来る人に形作っていくことにつながる、と思っている。

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