知っている有名人が亡くなっていくこと(1)(石村)

知っている有名人が亡くなっていくこと(1)
2024年1月になり、いずれも演歌歌手の八代亜紀さん、冠二郎さん、「歌手の小金沢君」こと小金沢昇司さんと立て続けに芸能人の訃報が飛び込んできた。以下、多くの有名人の名前を書くが敬称略とさせて頂く。
この文章を書いている時点で50歳である私が小学生の頃だから40年近く前ということになるが、記憶している訃報の中で一番古いのは冒険家の上村直己(小5)、歌手であり俳優の坂本九・女優の夏目雅子(小6)あたりである。坂本九以外は、今回この文章をつづるにあたりネット検索した結果、そういえばそうだった、と思い出したもので自覚的な記憶ではない。坂本九は日航機墜落事故の犠牲者だから、生々しい事故現場の映像とセットで記憶に残り易かったのか。いずれにしても、自宅で洗濯物を畳む母が見ていたテレビの情報番組(「3時のあなた」などあった)での報道を私が見て、つまり亡くなったという報道を通して初めて名前を知った人ばかりだった。夏目雅子については子供たちに人気だった実写ドラマ「西遊記」で三蔵法師役をしていたから顔は知っていたはずだが、名前を知ったのはずいぶん後になってからだ。子供時分に見るテレビ番組のほとんどはアニメや怪獣もの、ヒーローもので、テレビに映る生身の人間には興味がなく、したがって俳優や女優のみなさんの名は知らなかった。この頃は、有名人の訃報に接しても心が動かされることはなかった。
中学2年の時に俳優の石原裕次郎。小学生の時分に流行した「西部警察」の指揮官だったことは何となく知っていたが、報道のされ方から、親の世代なら誰もが知る大御所なのだと知った。
中学3年生の時には東八郎。この辺りから、初めて知っている有名人が亡くなったという認識になる。
高校1年では歌手の美空ひばり。母が好きな歌手だったから名前も姿も知っていた。だが自分の関心の薄い大人の世界の話で、あまり関心は無かった。
その後も有名人の訃報にはずっと触れ続けてきたとは思うのだが、それが自分の思いに何らかの波紋を作ることはなかった。訃報を通して初めて知るという人が多かったし、知ってはいてもそれだけ、思い入れのない人たちだった。それが初めて変わったのが、ずっと後、私が26歳の時にプロレスラーのジャイアント馬場の訃報に接した時だ。小学生の頃によくやったプロレスごっこでは地味すぎてあまり誰も真似したがらない十六文キックが得意技であるジャイアント馬場ではあったが、私にとってはそれでも新日本プロレスのアントニオ猪木と並んで最も有名な日本人プロレスラーであり、はっぽー、はっぽー、とその独特な掛け声で繰り出す空手チョップを私も友人たちも真似したものだ。私が大学生の時分にプロレスファンの友人がほほえましい話として語ってくれたのを記憶しているのだが、老いてなおリングに上がるジャイアント馬場の試合を見に会場へ足を運ぶファンからの掛け声が「馬場、動け!」だったということで、強さを失ってなお愛されたレスラーなのだと、当時私も嬉しく思ったものである。それが亡くなったと聞いて驚いた。例えるなら、私が物心ついた時に初めて見上げた天蓋、世界とはこんなところなのだと理解し受け入れていたその世界の模様、永遠に変わらないと思っていた天蓋の一部が、パズルのピースのように剥がれ落ち、無くなってしまったような気がしたのだ。(2に続く)

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