死霊に憑かれたのではないかと恐怖したこと(石村)
確か中学一年生の時だったと思う。弥生時代の甕棺(かめかん)墓群を二回発見して発掘調査に加わらせてもらったのが嬉しくて、新たな遺跡を探しに野山や畑、田んぼなどを歩き回っていたころのこと、ある切通しに弥生式土器の甕が露出しているのを見つけた。地中に埋められていた甕が、切通を作る工事ですっぱりと切断され、つぶれて楕円形になった土器の赤茶色の断面は一目でそれと分かった。きっと今回も甕棺墓、そう思った。甕棺墓というのは、それが権力者の者であった場合、青銅製の剣や鏡、勾玉(まがたま)、管玉などの副葬品が宝物として納められていることがある。ただこれはまれなことで、ほとんどの甕棺墓には副葬品はない。また甕はたいてい土圧で潰れており、発掘時には土に満たされている。骨を始めとした人体は溶けきって土と区別できず、出土するのは割れた土器だけというのが圧倒的に多い。そう知ってはいるものの一縷の望みを持ち副葬品を探して舐めるように崖面を見ていると、なにやら土から飛び出しているものがある。すわ副葬品か、と引っ張り出して土を払ってみると、長さ4~5cmだったか、白っぽい棒で、よく見ると縦に細かい線が入っている・・・・・人骨だ、と分かった私は恐ろしくなり、もとの土に突き刺して、自転車にまたがり全速力で家に戻った。家に入り、手を石鹸でよく洗って、もう大丈夫、もうあの場所から離れた、と自らに言い聞かせてみたが、今度は「ひょっとしたら埋葬されていた人の霊を連れて帰ってきてしまったのでは」という別の恐怖に取り憑かれた。
死霊は遺体や墓に留まっている
死霊は遺体や墓に触れた人に取り憑く
憑いた死霊は取りついた相手に害を与える
人は取り憑いた死霊の前に無力である
自分の感じた恐怖を整理すると、私はこれらを前提をして暮らしていたことになりそうだ。
私はずっと後になってイエスキリストを救い主と信じたが、その結果、私の前提は、死者の霊は死と同時に神の手の中に帰る、というものに変わった。上記の前提はかつての私も含めて今も多くの日本人に広く共有されているものだと思う。
石村修善
