泪が原(石村)
福岡平野に突き出した低山、油山(597m)の東側斜面を東油山、西側斜面を西油山と呼びます。その西油山の中腹にはその昔、天福寺とよばれる寺が栄えておりました。油山360坊、と言って修行僧の暮らす僧房が360もあったのだとか。ところが稚児を巡って東門寺という別の寺と争い、火をかけられて廃寺になった旨、江戸時代の学者、貝原益軒が書いているそうであります。(ややこしいのですが、東油山に天福寺というのが現存しますが、今回の天福寺とは無関係です)
さてこの天福寺の僧たちの墓地が置かれた「泪が原(なみだがはら)」という場所が山中にある、と父が聞いて、もう40年も前、小学生だった私も一緒に探しに行ったことがあります。本当にそこかどうかわからないものの、このあたりかなあと言って辿り着いた場所はトゲの多い低木やススキに覆われて足を踏み入れることができませんでした。その父も他界し、それがどこだったのか今となっては分かりません。がしかし、泪が原という美しい名前は子供ながらに記憶に残ったのでした。
同じく泪という字を冠した「泪橋」という橋(そしてそれがそのまま定着した地名)が全国各地にあるということはだいぶ後になって知りました。ものの本によると、昔は集落から川を渡ったあちら側に墓地を作ることが多くあり、この橋を渡ったら墓地、というその橋を泪橋と名付けたものなのだと。おそらく一番有名なのはボクシング漫画「あしたのジョー」で描かれていた、ジョーの所属する「丹下ジム」のある場所。橋の下なので恐らくは違法建築だと思うのですが、あの橋が泪橋でした。しかも、日雇い労働者たちの町(ドヤ街)として有名な山谷の入り口。渡ったあちらはドヤ街という橋が泪橋だというのは、墓地であるという元々の由来とあい重なって胸に迫ります。
泪が原。泪橋。なんと率直で悲しみの胸に迫る名前を私たちの先祖は付けたのだろう、としみじみ思うのであります。
泪が原(石村)
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