海水浴の思い出(2)(石村)
墓石が海に崩落した海岸の思い出は他にもある。
私が小学生だった時には毎年のように行っていた件の海岸ではあるが、中学生になる頃には、年上ばかりだったいとこ達がそうした年齢で無くなったからであろう、もう親戚で連れ立って海水浴に行くことはなくなった。ただこの海岸は、幼かった時分を彩る楽しい思い出の地であり、またここで様々な生き物を夢中で見たことが、後に私が大学で生物学を専攻することにつながったに違いない、と思っている。私にとっては特別な場所である。
さて進学で福岡を離れて以降、私は二十数年にわたって国外を含む県外を転々として暮らした。その間に、いとこたちはそれぞれの道を行き、海に連れて行ってくれた叔父が、続いて祖父が、いずれも私が20代の頃に亡くなった。
時は過ぎ、思うところあって妻と幼い息子を伴って40歳を過ぎて福岡にUターンし、個人事業主として葬儀業を始めたその年だったかと思うが、この海岸に一人で行ってみることにしたのだ。運転席から懐かしい景色を眺めながら、かつては大人に運転を任せていたのに自分がハンドルを握っていること、そしていとこたちと寿司詰めで乗車していたのが今は一人であることに、時の流れを感じた。
人気のない春の海岸。車から降りて歩を進めると、かつて岩を伝って崖まで歩いた海岸はコンクリートの護岸となっており、身の丈ほどの高さのコンクリ壁にさえぎられて海は見えなくなっていた。少しがっかりしながら、それでも見てやるぞと壁の上に登った。強い春風に身をかがめつつ、福岡タワーや福岡ドーム(今はPaypayドームというらしい)が遠くに見える。いずれも当時はなかったものだ。壁の陸側は管理用なのか、軽自動車が一台通れるほどの広さがある。そうだ、ここを歩いてあの崖まで行ってみよう、と思い直して飛び降り、歩き始めた。私のほかに誰もいない。いやここに来る人などめったにいないだろう。外套のポケットに手を入れて、そんなことを思いながら歩いていると、実に思いがけず、達観、そして覚悟が確かに、しかし静かに体を満たし来たのである。
祖父と叔父が、二十数年もの間、私がこの場所に帰ってくるのをまさしくここで待っていたのだ。そして自分はもう福岡を離れることはしない、福岡で死んで福岡の土になるのだ、と。
