海水浴の思い出(石村)

海水浴の思い出(石村)
私が小学生のころ、当時まだ存命だった祖父や叔父達が協力して、毎年のように、私やいとこたちを海水浴に連れて行ってくれた。行くのは大抵、家族連れの集まる海水浴場ではなく、海底がゴロタ石で覆われた、海水浴場ではない遠浅の海岸。ミナとかビナとか私たちが呼んでいた親指の先ほどの小さな巻貝を採取したり(持ち帰って塩ゆでしてマチ針で身を引っ張り出して食べるのが楽しみだった)、水中眼鏡を付けて海底の岩や海藻の間に小魚を探したり、というのが楽しかった。
祖父たちがゴザと弁当を広げて私たちを見守っている場所から、満潮時には波しぶきのかかる海岸の岩を飛び飛びにしばらく進んだ先には、波の浸食を受けて崖となっている場所があり、笹薮や低木に覆われたその斜面はさらに山頂へと続いているのが見て取れた。
ある夏、滅多に足を伸ばすことの無いその崖に行きたくなって、一人で一行から離れ岩を伝いながらしばらく歩いた。辿り着いた崖下は、見上げると10mほどもあったのだろうか。とにかくむき出しの赤土と岩があり、落ちかかった笹やら低木などがまだ張り付いていた。下はと見ると、崩落してそれほど時間がたっていないのであろう、波に流されていない赤土と共に、長さ1mもない鶏卵のような丸っこい石が転がっていた。表面に文字が刻んであるような気がしたので近づいてよく見てみると、それは墓石だった。漢字ばかりで何と書いてあったのか今はもう分からない。当時の私の知識ではそもそも読むこともできなかったかもしれない。ただ○○家の墓、ではなくて個人の墓だということは分かった。と同時に恐怖に打たれた私は転げるようにして皆のいる場所に駈け帰ったのだった。

長じて思うに、墓石の置かれた当時はまだ波による浸食が今ほどは進んでおらず、生前の希望だったのか、残された者が選んだのか、いずれにしろこの美しい海を見渡すことの出来る場所と言うことで墓所に定めたのだろう。しかし時は流れ、そこが墓所だと知っている者は世を去り、忘れ去られて藪に埋もれ、遂には波の浸食を受け墓石も亡骸も海に還ったものであろう。無残と言う向きもあろうが、私にはこれでよかったのだと思えるのである。

石村修善

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