墓地で見た骨壺(石村)

墓地で見た骨壺(石村)
これまた小学生の頃の思い出。盆前と年末だったと思うが、毎年、両親に連れられてバスに乗り墓掃除に行っていた。博多の町中にある古い寺の境内墓地。子供にとっては広い敷地内に、ブリキのバケツとプラスチックの柄杓(ひしゃく)の並んだ水場を中心として、人がすれ違えるほどの未舗装の一本道があり、銀杏の古木から零れ落ちた黄色の落ち葉はよく掃き清められていて、人手の行き届いていることに子供ながら関心したものだ。我が家の墓はこの道に面して建てられていた。大体にして、新しい場所に行くと探検を試みる私ではあったが、ここでは自分たちの墓より奥には行こうとはせず、また墓石と墓石の間を縫って道を外れて歩き回ることもなかった。ゲゲゲの鬼太郎に描かれていそうな、そう、墓地ではなく墓場(はかば)と呼ぶのがふさわしい場所が奥にあるのを遠目に見て知っており、怖かったからだ。
そんな私が小学校も高学年になって、ずっと気になっていたその奥地に、蛮勇を奮って入り込んだことがある。墓掃除をしている両親の姿を振り返り見ながら歩みを進めると、子供でも抱えることの出来そうな小さな自然石の墓が苔むしてあったり雑草が繁茂するままになっていたりと人手が行き届いていないことは明らかで、それまでとは違う雰囲気に恐怖した。とそこに、口の直径が10cmくらいだったか、赤土で作られた素焼きのつぼが丸のまま地面に置いてあった。素焼きの壺とは現代には珍しい。昔々の土器かもしれない。土器と言うのは大体において粉々に割れているもので、完全なものは珍しい。興味を持って近づくと残念ながら口の部分の一部が割れて地面に落ちている。壺の中を覗き込むと、なんと焼骨があるではないか。尻もちをつかんばかりに驚き、全速力で両親の元に逃げ帰った。

一体なぜ骨壺が墓の中に収蔵されず、外に放置されていたのだろうとずっと不思議だった。寺務所を通さずに持ち込んだのは間違いない。通していれば寺務員や僧侶が納骨を手伝うはずだから。手続き上、納骨の際には寺務所を通さなければならないと知らなかったのだろうか。それとも知ったうえでのことなのだろうか。知ってか知らずか寺務所を通さず、カロート(墓にあって骨壺を納める部分)を自力で開けることが出来なかったか。自力で出来なければそのあたりで作業しているに寺務員に相談すればよいのだから、やはり寺を通したくなかったのだろう。納骨料を用意できなかったのか。いずれにしても放置することを選んだのだから、故人との関係は深かったり温かかったりしたものではなかったのだろう。
人の心というものは目には見えないもの。しかしその目に見えないはずのものが、海面下の氷が浮かび上がるように目の前で見える形を取り、私はそれを見せつけられたかのようで、言葉が出てこない。

石村修善

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